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東京地方裁判所 平成9年(ワ)10245号 判決

主文

一  被告乙山松子及び同乙山一郎は原告に対し、

1  別紙第一物件目録一記載の土地について、東京法務局江戸川出張所平成九年三月二六日受付第一二六九二号所有権移転登記

2  同目録二記載の建物について、同出張所同日受付第一二六九一号所有権移転登記

3  同目録三記載の土地について、同出張所同日受付第一二六八九号所有権移転登記

4  同目録四ないし六記載の各建物について、同出張所同日受付第一二六九〇号所有権移転登記

の各抹消登記手続をせよ。

二  被告丙川春子及び同丁原夏子は原告に対し、別紙第二物件目録記載の建物(敷地権付き)について、静岡地方法務局伊東出張所平成九年一月三一日受付第一一六四号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

別紙第一及び第二物件目録記載の土地建物については、それぞれ遺贈を原因として訴外乙山ハナ(以下「ハナ」という。)から被告らへの所有権移転登記がされているところ、ハナの相続人である原告が被告らに対し、右遺贈の無効を主張(ハナは遺言当時、遺言能力を欠いていたと主張)して、その抹消を求めた事案。

一  争いのない事実

1 ハナ(明治四四年一〇月生)は別紙第一及び第二物件目録記載の各不動産を所有していたが、平成八年一一月二三日八五歳で死亡した。

ハナの相続人は妹である原告及びハナの死亡した兄弟姉妹の子ら(甥姪)である。

被告乙山松子(以下「被告松子」という。)はハナの兄である太郎(昭和二〇年三月戦死)の三男・乙山松夫(平成五年五月死亡。以下「松夫」という。)の妻(昭和三七年婚姻)であり、被告乙山一郎(以下「被告一郎」という。)は松夫夫婦の長男、被告丙川春子(以下「被告春子」という。)は長女、被告丁原夏子(以下「被告夏子」という。)は次女である。

2 別紙第一物件目録の土地については東京法務局江戸川出張所平成九年三月二六日受付第一二六九二号により、同目録二記載の建物については同出張所同日受付第一二六九一号により、同目録三記載の土地については同出張所同日受付第一二六八九号により、同目録四ないし六記載の各建物については同出張所同日受付第一二六九〇号により、いずれも平成八年一一月二三日遺贈を原因として、ハナから被告松子及び同一郎への所有権移転登記(右被告らの持分各二分の一)がされている。

また、別紙第二物件目録記載の建物(敷地権付き。以下同じ)については静岡地方法務局伊東出張所平成九年一月三一日受付第一一六四号により、平成八年一一月二三日遺贈を原因として、ハナから被告春子及び同夏子への所有権移転登記(右被告らの持分各二分の一)がされている。

3 ハナは、昭和六二年一〇月二六日、浦和地方法務局所属公証人戊田竹夫作成の遺言公正証書により、また、平成八年二月一六日、同法務局所属公証人甲田梅夫作成の遺言公正証書により遺言をしたが(以下、昭和六二年作成の右公正証書による遺言を「先行遺言」、平成八年作成の右公正証書による遺言を「後行遺言」という。)、先行遺言によれば、別紙第二物件目録記載の建物は被告春子及び同夏子に二分の一ずつを遺贈するものとされ、後行遺言によれば、別紙第一物件目録記載の各不動産は被告松子及び同一郎に持分二分の一ずつを遺贈するものとされている。

被告春子及び同夏子への前記所有権移転登記は先行遺言に基づいて、被告松子及び同一郎への前記各所有権移転登記は後行遺言に基づいてされたものである。

なお、昭和六一年四月一八日松夫夫婦がハナの養子となる旨の縁組の届出が、昭和六二年一〇月二日被告一郎がハナの養子となる旨の縁組の届出がされたが、平成七年一二月二一日、右各養子縁組を無効とする判決が確定した。先行遺言によれば、別紙第一物件目録記載の各不動産は養子である松夫、被告松子及び同一郎に三分の一ずつ相続させるものとされていたが、その後、右のとおり養子縁組無効の判決が確定したため、右遺言部分は後行遺言によって取り消され、前記のとおり、右各不動産は被告松子及び同一郎に遺贈するものとされた。

二  原告の主張

1 ハナは、昭和六〇年一一月八日自宅で脳出血発作のため倒れて意識不明の重体となり、開頭手術・リハビリを受けるなどしたが、従前の能力を回復するに至らず、言語・行動に重篤な障害を残したままの状態であった。

前記のとおり、昭和六一年四月一八日届出のハナと松夫夫婦の養子縁組、昭和六二年一〇月二日届出のハナと被告一郎との養子縁組については、これを無効とする判決が確定しているが、右判決によれば、ハナは右養子縁組当時、「その知能及び思考力は著しく障害されていて、身分関係及び財産関係に重大な影響を及ぼすこととなる養子縁組の意味、内容及び効果について、これを一通り理解することができるだけの意思能力を有してはいなかった」と認定されている。したがって、昭和六二年一〇月二六日にされた先行遺言当時、ハナが遺言能力を欠いていたことは明らかであり、先行遺言に基づき別紙第二物件目録記載の建物についてされた被告春子及び同夏子への所有権移転登記は無効である。

2 後行遺言は右養子縁組無効判決確定後の平成八年二月一六日にされたものであるが、当時のハナの精神状態も同様であって、ハナは後行遺言当時、遺言能力を欠いていたから、後行遺言に基づき別紙第一物件目録記載の各不動産についてされた被告松子及び同一郎への各所有権移転登記は無効である。

3 よって、原告は被告らに対し、各所有権移転登記の抹消登記手続を求める。

三  被告らの認容

1 原告らの主張1の第一段の事実は、ハナの言語・行動の障害の程度を除いて認める。ハナが先行遺言当時、遺言能力を欠いていたとの事実は否認する。

2 同2のうち、ハナが後行遺言当時、遺言能力を欠いていたとの事実は否認する。

第三  判断

一  先行遺言当時のハナの意思能力について

1 前記争いのない事実と《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 昭和六一年四月一八日松夫夫婦がハナの養子となる旨の縁組の届出が、昭和六二年一〇月二日被告一郎がハナの養子となる旨の縁組の届出がされたが、ハナの実姉の子(ハナの甥)である乙野春夫は昭和六三年、浦和地方裁判所に対し、右各当事者を被告として縁組無効確認訴訟を提起し、同裁判所は平成六年一一月二五日、ハナが右各縁組当時、縁組をする意思能力がなかったことを理由に、右各縁組が無効であることを確認する旨の判決を言い渡した。なお、右事件につき、第一審は当初、ハナに訴訟能力がないとして訴えを却下したが、控訴審は、ハナの訴訟能力の瑕疵は特別代理人の選任により補正されるとして事件を第一審に差し戻した。右無効判決は、差戻し後のものである。また、この間、松夫は平成五年五月に死亡した。

右無効判決に対し、ハナと被告松子及び同一郎が控訴したが、控訴審も第一審と同一の理由により、請求を認容すべきものと判断し、控訴を棄却した(平成七年五月三一日言渡し)。ハナらが上告したが、上告は棄却され(平成七年一二月二一日言渡し)、右各縁組の無効が確定した。

(二) 右無効判決(控訴審判決が引用する第一審判決)は、右各縁組(右無効判決にいう「本件縁組」)当時のハナの精神状態及び意思能力について、次のとおり認定判断した。

(本件縁組前後のハナの精神状態について)

「(一) ハナは、昭和六〇年一一月八日、大脳左側被殻外側出血のため倒れ、意識不明となり、三日後の同月一一日、開頭による血腫除去手術を受けた。手術後も意識の混濁は持続したが、手術後約四〇日の一二月中旬ころから、やや意識にまとまりがみられるようになった。

(二) ハナは、昭和六一年一月中旬ころから、リハビリテーションを受け始め、つかまり立ちは可能であった。同月末ころに大宮共立病院に転院したが、その当時、ハナは、運動性の失語と精神活動の低下があり、簡単な会話は理解できていたが、発語は少なく、あっても意味の分からない言葉になってしまう状態であった。そのような言語の機能障害は、脳の思考過程にも影響し、ハナは、論理的、抽象的思考が十分に機能していたとはいえない状態にあった。身体的には高血圧、右不全片麻痺の状態が継続し、リハビリテーションも続けられ、右手では簡単な動作ができるようになったものの、歩行はできないばかりか、意欲の障害もあって、体位交換をしないため、じょくそうが生じたりし、おむつも着用し、排せつ、入浴などには介助が必要であった。

(三) ハナは、昭和六一年三月から四月上旬ころにあっては、言語障害が軽快し、日時や場所については正確な見当はないものの、知人、おいなどの親戚はある程度認知可能であった。また、自己の身体の状態、今後の療養等について思いをめぐらすことができる程度の精神能力には至っていた。しかしながら、ハナは、運動性失語がなお残存し、複雑な会話は不可能な状態が継続しており、その結果、論理的、抽象的思考の障害にも及んでいた。また、このころから意欲の喪失と自発性の欠如が目立つようになり、日常生活は無爲で、知的能力も低下しており、複雑な書類の内容を理解することは困難であった。

(四) ハナは、昭和六一年四月上旬以降も、その状態にさほどの改善はみられず、言語能力はわずかに軽快したものの、知的能力の回復の兆候はなく、記憶力及び記銘力の障害並びに一般的常識的知能及び抽象的思考能力の低下が緩やかに進行し、昭和六三年五月の段階では、運動性失語状態のほか全般的知能及び判断力の低下を伴う軽度の痴ほう状態にあった。身体的にも、右不全片麻痺の状態がほぼ固定し、歩行は依然不能のままであった。

(五) 一般に、脳卒中の後遺症による機能障害の回復は、手術から六か月以内にピークに達するところ、ハナは、その年齢、療養の経過等に照らすと、大宮共立病院に入院中の昭和六一年四月から六月までころが回復のピークであった。」

(本件縁組当時のハナの意思能力について)

本件縁組を含む多数の養子縁組が短期間に集中してされているという異常性、また、ハナの本件縁組当時の精神状態に関する右認定事実、更には、ハナの支離滅裂な供述の状況をも総合すると、「ハナは、本件縁組の当時、その知能及び思考力は著しく障害されていて、身分関係及び財産関係に重大な影響を及ぼすこととなる養子縁組の意味、内容及び効果について、これを一通り理解することができるだけの意思能力を有してはいなかったと認めるのが相当である。したがって、本件縁組は、当事者間に縁組をする意思の合致がないものとして、無効というべきである。」

2 当裁判所も、右無効判決(第一審及び控訴審判決)が判示する証拠の取捨判断、上告審を含む各審級の判断内容と結果及び当審に提出された右事件の証拠資料等を検討した結果、前記各縁組当時のハナの精神状態及び意思能力は、右無効判決(控訴審判決が引用する第一審判決)が認定判断したとおりであったと認める。

右認定事実によれば、ハナは前記各縁組(昭和六一年四月一八日及び昭和六二年一〇月二日)当時、「その知能及び思考力は著しく障害されていて、身分関係及び財産関係に重大な影響を及ぼすこととなる養子縁組の意味、内容及び効果について、これを一通り理解することができるだけの意思能力を有してはいなかった」のであるから、養子縁組をするのと同程度の意思能力を必要とされる遺言についても、その意味、内容及び効果を理解することができるだけの意思能力を有していなかったと認めるのが相当である。そうすると、先行遺言がされた昭和六二年一〇月二六日当時、ハナは遺言能力を欠く状態にあったというべきである。

3 以上によれば、先行遺言は無効であり、先行遺言に基づき別紙第二物件目録の建物についてされた被告春子及び同夏子への所有権移転登記は無効である。したがって、右登記の抹消登記手続を求める原告の請求は理由がある。

二  後行遺言当時のハナの意思能力について

1 前記争いのない事実記載のとおり、先行遺言によれば、別紙第一物件目録記載の各不動産は養子である松夫、被告松子及び同一郎に三分の一ずつ相続させるものとされていたが、その後、養子縁組無効の判決が確定したため、平成八年二月一六日、右遺言部分は後行遺言によって取り消され、右各不動産は被告松子及び同一郎に遺贈するとされたものである。

2 ところで、前記各養子縁組当時のハナの精神状態は、前記認定のとおりである。すなわち、

(一) ハナは、昭和六〇年一一月八日、大脳左側被殻外側出血のため倒れて意識不明となり、三日後、開頭による血腫除去手術を受けた。昭和六一年一月中旬ころからリハビリテーションを受け、同月末ころに大宮共立病院に転院したが、その当時、運動性の失語と精神活動の低下があり、簡単な会話は理解できたが、発語は少なく、あっても意味の分からない言葉になってしまう状態であった。そのような言語の機能障害は、脳の思考過程にも影響し、論理的・抽象的思考が十分に機能していたとはいえない状態にあった。

(二) 昭和六一年四月上旬以降、言語能力はわずかに軽快したものの、知的能力の回復の兆候はなく、記憶力及び記銘力の障害並びに一般的常識的知能及び抽象的思考能力の低下が緩やかに進行し、昭和六三年五月の段階では、運動性失語状態のほか全般的知能及び判断力の低下を伴う軽度の痴ほう状態にあった。

(三) 一般に、脳卒中の後遺症による機能障害の回復は、手術から六か月以内にピークに達するところ、ハナは、その年齢、療養の経過等に照らすと、大宮共立病院に入院中の昭和六一年四月から六月までころが回復のピークであった。

3 右事実及びハナの年齢等に照らすと、ハナの精神状態がその後回復に向かったとは考えられず、後行遺言当時(平成八年二月一六日)のハナの精神状態は、前記各養子縁組当時のそれと同程度か又はそれ以下の状態であったと推認される。

後行遺言(遺言公正証書)を作成した公証人である証人甲田梅夫は、ハナの意思能力に問題があるとは考えなかった旨供述するが、その証言によれば、公正証書作成の際、主として発言したのは被告一郎と被告松子であり、ハナはあまりものを言わなかったというのであるから、右供述によっても、右認定を覆すことはできない。また、被告松子は、ハナは養子縁組無効判決の確定後、被告松子からそのことを聞いて怒り、後行遺言をした旨供述するが、ハナが養子縁組無効確認訴訟においても支離滅裂な供述しかしていなかったことなどに照らし、にわかに採用することができない。ほかに、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

4 以上によれば、後行遺言もハナの遺言能力を欠くものとして無効であり、後行遺言に基づき別紙第一物件目録記載の各不動産についてされた被告松子及び同一郎への所有権移転登記は無効である。したがって、右各登記の抹消登記手続を求める原告の請求は理由がある。

三  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 大内俊身)

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